学問のすゝめ 初編 一人輪読会

先日分からない単語を書いていた通り、学問のすゝめの初編を読んだので、自分なりに読み取ったことや読んだ感想をまとめて見た。
読んだのは青空文庫のものですが、段落については原本(慶應義塾/wikisource))を参考にしています。

要約

評価される学問を修めよう

自分勝手に学ぶのではなく、人に社会に役立つ力をつけよう。

自由で平等であるがゆえ、責任が伴い実力が評価される

自由とワガママの区別をつけること。家柄や集団の威光から、自らの実力が評価される時代になる。

自由といえど愚者であることは、自分の首を絞める

ワガママであることは他人に迷惑をかけるだけでなく、自分の首を絞めることになる。

詳細(段落ごと)

第一段落 : 天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず

学問のすゝめといえば、のフレーズで始める初編第一段落。いわゆる平等(Equality)について話しています。
buzzap.jp 生まれた段階では皆平等で、そこからどう学ぶかということの重要性を説いています。

第二段落 : 學問とは世上に實のなき文學をいふにあらず

自分勝手な学びは良くないですよ。という文脈です。
まずは実益につながる字を学び、そろばんを覚え、物理や経済を学び、そして、一人一人が生まれの貴賎に問わず力をつけて自立し、国としても独立しよう。と言っています。

ここからは自分の意見になりますが、たとえで利用されている「難しい字を知り、わかりにくい古文を読み、和歌を楽しみ詩を作る」こと(=実益とは繋がりにくい学問)自体は学ぶことに意義はあると思っており、時代によってこの学問の重要性というのは変わってくるものと思います。

このご時世ITの力によって、テレビはもちろんYouTubeやwebなど人の知的好奇心をくすぐるコンテンツを広く発信することで、過去よりも多くの人を楽しませることができると考えています。また、分業が進む現代だからこそ独自性で突き進むことが大事だと思います。ある種、その専門性が實の「有る」文學になっていく時代になったのではないかと思います。

個人的に好きな「connecting the dots」の考え方から見ても、(もちろん実益のある学びは必要だと思いますが)より個人個人が自らの「好き」を深めれる時代になってきたんじゃないかなという考えはあります。そうなると「プレゼンテーション力」や「コミュニケーション力」が実益につながる大事なファクターにもなるのかな。

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第三段落 : 學問をするには分限を知る事肝要なり

すなわちその分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずしてわが一身の自由を達することなり。
学ぶにあたって、道理を通し、他人の気持ちも察し、他人の足を引っ張ったり邪魔をしたりしないようにしましょうと。
福沢諭吉炎上マーケティング嫌いそうw

文内では、自分の金だと言って放蕩を尽くすことも、それ自体が「諸人の手本となり、ついに世間の風俗を乱りて人の教えに妨げをなす。」と言っています。
解釈に誤りがあるかもしれませんが、学問を修め、自由を手に入れたとしたら、直接的に害をなす行為でなかったとしても、自らは他の人の手本となるべく意識すべき。ということを言っているのでしょうか。

そして、「天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずしてわが一身の自由を達することなり。」は一国に対しても言えるとあります。

ちょうどペリーが来て「カーイコークシテクダサーイ」って言ってる頃ですね。

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「開港の後もいろいろと議論多く、鎖国攘夷などとやかましく言いし者もありしかども、その見るところはなはだ狭く、諺に言う「井の底の蛙」にて、その議論とるに足らず。」
「自国の力をも計らずしてみだりに外国人を追い払わんとし、かえってその夷狄に窘しめらるるなどの始末は、実に国の分限を知らず」
まぁ、ここら辺はその時勢から入れたのかな〜って感じですかね。
人として「天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさず」が大事だし、国としてもその考え大事よね〜。ということでしょう。

また、読み進めると「実なき虚威というものなり。」と出てくる。 これはそれまでの幕府に対しての従属を指しており、「すべて御用の二字を付くれば、石にても瓦かわらにても恐ろしく貴きもののように見え」とあるように、個人の努力ではどうにもならない不平等な時代であったことを示している。

しかし、幕府も無くなり自由になった今、お上の行動に不平があれば、隠してひそかに政府を恨むことなく、適当なルートから静かにこれを訴えて遠慮なく議論すべきである。そしてそれは一国民として行うべき「分限」であると書かれている。

第四段落 : 前条にいへる通り人の一身も一國も天の道理に基て不羈自由なるもの

第三段落でも話された通り、開国し自由になった日本では分限にそえば個人の自由は保障されるべきである。
ただ、自由とはいうものの身分(職位的な考えかな)はあるので、それに沿った知性を持ってもらうためにも学問は重要なファクターである。

世の中に無知文盲の民ほど哀れで忌わしいものはない。自分の無知のために飢えや寒さに迫られれば、その無知を反省せず富める人を憎む。
富める者も子息に学ばせなければ「遊惰放蕩に流れ、先祖の家督をも一朝の煙となす者少なからず。」

『かかる愚民を支配するにはとても道理をもって諭すべき方便なければ、ただ威をもって畏すのみ。 西洋の諺に「愚民の上に苛き政府あり」とはこのことなり。』
この言い回し好きだな。学ぶことが重要であることの一つですね。

『愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。』自由な社会を作るためには、我々は良民となるべき。と

『まず一身の行ないを正し、厚く学に志し、博ひろく事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備えて、政府はその政まつりごとを施すに易やすく、諸民はその支配を受けて苦しみなきよう、互いにその所を得てともに全国の太平を護らんとする』と。
学ぶことによって政府の政治を行いやすくし、諸人民はその支配を受けて苦しみのないよう、互いにその所をわきまえて、ともに全国の太平を守る。

まとめ

学ぶことのメリット。互いを尊重し自由を手に入れることのメリットを書き出していると感じました。